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「現代マクロ経済学」 ジェームズ・K・ガルブレイス

本記事はポストケインジアンのジェームズ・K・ガルブレイス著書の「現代マクロ経済学」の紹介である。この著書の中から主にポストケインズ(以下PK)の理論を紹介する。ガルブレイスと聞くと彼の父親であるジョン・ケネス・ガルブレイスの方が有名であろう。その方の著書はまだ未読だが。

 

ジェームズの方の紹介を雑にするが93年から97年まで中国の国家計画委員会のマクロ経済改革と制度強化のチーフアドバイザーだったという経歴の持ち主。

diem25.org

 

今の中国経済の基盤を作った人物でもある。

彼の理論、いや、彼含めてPKの理論とは何か見ていこう。

 

 

ポストケインズとは何かについて述べるにはまず経済学の歴史について話さなければいけない。経済学の歴史は意外と浅く1920くらいからだ。アダムスミスやセイ、リカードなど、彼らの理論を古典派と呼ばれてる。

古典派理論は自由放任主義であり、自由市場経済が自動的に完全雇用に向かうという考え方だ。見えざる手なども、セイの法則とか。

その後、1930年にケインズが一般理論を唱えて古典派を否定する流れになる。

実質国民生産物と雇用の決定に初めて貨幣市場と金融市場を導入した。

実物交換の経済学に代わって貨幣的生産の経済学に変わった。

そして45度線の分析グラフ、IS−LMモデルが生まれる。

しかし、IS−LMモデルがケインジアンのモデルとは言えない。ケインジアンの諸概念を一般均衡の枠組みにおき、特に貨幣の取引的需要と投機的需要の概念を取り入れた。

このモデルの良いところはシンプルでわかりやすいことであり、また様々なモデルと統合することもできた。フィリップス曲線、マンデルフレミングなど。

事実、新古典派総合とすらも命名されたのだ。

ISLMモデルへの動きは、ケインズ自身の経済学から遠ざかる第一歩であり、古典派の経済像の復活への第一歩である、とガルブレイスは述べている。

この辺が1950年代、その後マネタリストがやってくる。

ミルトンフリードマンなど。

マネタリストは貨幣の中立性と自由放任主義が政策的に正しいという古典派の命題を再構築しようとした。

ケインズの一般理論において貨幣は外生的と記されており、政策的には内生的であるのにそのように述べたためにマネタリストの台頭を許したともされる。

そして1980年代にニューケインジアンが誕生。

ニューケインジアンは合理的期待とマネタリズムを受け入れるが市場均衡という重要な概念を否定する。市場経済における財政政策と金融政策の一定の役割を再構築しようとし、ある程度成功した。新古典派のAS-ADモデルよりもIS-LMモデルに戻るのが便利であると考える。それにも関わらず、ニューケインジアン新古典派の概念的な構造に即して構築されている。

このようにケインズの理論は様々な派閥に分かれ統合したり離れたりし原型を失っている。その原型を取り戻しケインズ自身の研究の直系を主張するのがポストケインジアン経済学になる。

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ポストケインジアンが異なる点はいくつかある。

新古典派経済学は市場均衡、マネタリズム、合理的期待という三つの命題が存在する。

この理論が有用であるには抽象概念として適切かどうかである。

新古典派の考え方は広く受け入れることができる経済像をもたらすのであろうか、それとも根本的に間違っているのか。建設的な政策と破壊的な政策のいずれの方向を示すのであろうか。これらは理論に対する重要な判断基準である。

 

PKとNK(ニューケインジアン)は新古典派は実像とそぐわないという点では意見は一致する。

NKは需要均衡に関する市場の失敗の可能性、特に労働市場での実質賃金と名目賃金での硬直性を強調する。しかしPKから見るとやや的外れである。

そもそも真の問題が総労働「市場」が実際に存在するかどうかであるとき、総労働市場が均衡するか否かをどうして論んじることができるのであろうか。

各市場は存在することは認めてはいるが、その市場が均衡する市場かもしれないし、しない市場かもしれない。たとえそれらの市場が一般的に均衡するとしても、そのことが必ずしもその経済を全体として完全雇用に近づけるという保証はないであろう。

PKは、単一の包括的な労働市場、すなわち、経済全体における完全雇用の成立を保証する市場の疑いを抱く。言い換えると、たとえ小規模な実際の市場において、一般に需要と供給の力が作用して市場の均衡数量と均衡価格が確定されることを受け入れるとしても、PKは労働全体の需要と供給の隠喩に有用性を否定するのである。

 

内生的貨幣供給論

中央銀行に貨幣供給をコントロールはできない。むしろ中央銀行は一般に経済主体が需要する貨幣量を供給せざるを得ないのである。

信用創造という銀行の貸し出しのオペレーションについて説明をする。

教科書では、準備預金制度があり公開市場で買いオペを行い銀行の準備預金を増加させ、利子率は下がり、刺激され、新しい借り入れに対する需要と、その需要を満たす準備預金の供給が拡大される。

 

しかし、現実では違うプロセスを経てマネーストックは増加する。

銀行貸付のかなり大きな部分は企業、特に大企業でありこれらの企業は市中銀行と前もって貸付限度額を取り決めている。この点に関していえば、クレジットカードの限度額を前もって取り決めている消費者もそうである。これらの限度額は貸付の裏付けとなる。準備預金を過大に保有するかどうかに依存しない。

企業が借り入れを決定するとき小切手を書くだけで銀行は自動的に新しい貸付を拡大することになるのである。そのとき、銀行は貸付の裏付けとなる準備預金を探し求める必要がある。他の銀行から準備預金を借り入れることとなる。銀行全体で準備預金が不足し始めれば銀行間の貸し出しのレートは上昇する。それを見た中央銀行は準備預金を供給しレートを適正水準に安定させる。

したがって、貨幣供給は借り手全体が借り入れようと決定したのと同じ量だけ増減するだろう。

PKの最も需要な点は利子率の上昇が必ず民間経済活動の縮小、すなわち不況と失業のメカニズムを通じて機能するということである。そいうわけでこの種の政策には限度がある。中央銀行最後の貸し手として行動し、大量の倒産と銀行破産を防ぐという最も重要な責任がある。たとえ、積極的な金融政策が実行されるとしても貨幣供給に関する真の自由裁量権中央銀行に与えることはない。

 

すなわち、PKの貨幣供給曲線は水平である。

マネタリスト中央銀行が貨幣供給量を定め、市場に利子率を決定させると考えるのに対してPKは中央銀行が利子率を定め、市場に貨幣供給量を決定させると考える。

 

PKは中央銀行が物価水準の支配者であるというマネタリストの考えを否定する。

 

 

マークアップ価格決定

PKの物価水準の決め方は特殊だ。費用とマークアップ(費用に上乗せした利潤)を合計すると一般物価水準が決まる。マークアップは様々な市場の条件(独占度)を反映して生産物や産業で異なるが長期的には多かれ少なかれ安定する傾向がある。PKにとって変動の主要な因果的連鎖は、主に慣性的な貨幣価格のもとでの生産量の変化から借入金の需要の変化へと向かう。すなわち、借入金の需要は在庫と資本投資が増加するとき、その資金を賄うために増加し、生産量が減るときに減少する。次に、資金の借り入れ需要の変化は、貨幣の供給量を変化させる。このとき物価の上昇が起きるだろう。

それは費用の上昇、とりわけ賃金費用が上昇することによって起こるだろう。

そして賃金費用の上昇は市場が逼迫し労働者が自らの相対的立場を改善するための一定の交渉力を享受しているときに起こるであろう。このような状況でその因果関係の連鎖は間接的に物価変動から借り入れ需要および貨幣需要の変化へと向かう。

マネタリストの交換方程式ではM貨幣供給量からP物価に向かうことになるが、PKではこの交換方程式にマークアップの関数が乗っかり、また内生的貨幣論からみて貨幣供給は実質産出量の変数に依存するため、実質生産量から貨幣供給量へと向かう。

PKは期待などを通じて機能し貨幣の増加率の縮小が直接にインフレの減速をもたらすような市場メカニズムは存在しないと主張する。

 

価格が賃金費用にマークアップを付加して設定されるならば労働市場における名目賃金の調整は実質賃金を減らす効果を持たず、失業の減少のための古典派的な状況を生み出さない。

マークアップ価格形成下にある場合、まさに見てきたように物価水準は生産システムの内部において賃金やその他の主要な費用に利潤マージンを付加するという過程によって決定される。このとき貨幣供給は創出された名目取引需要を満たすように調整される。

物価は賃金とともに上昇したり下落したりするが、貨幣供給の変化は主に実質産出量の変化と費用ベースのインフレ圧力の反映であって原因ではない。

物価は賃金とともに上昇したり下落したりするので名目賃金の変化は一般的に実質賃金の変化を引き起こさないであろう。

PKの見解によれば、貨幣賃金をより伸縮的にすることが実質賃金をより伸縮的にすることにはならないであろう。集計的な物価水準の決定要因(実質賃金の分母)を貨幣賃金の決定要因(実質賃金の分子)から切り離す実際的な方法はない。貨幣賃金の変化が実質賃金に影響を及ぼさないのであるから、貨幣賃金の変化は失業を減らすことができないのである。

 

まとめ 

PKの価格理論はマークアップ価格形成に基づく慣性理論である。貨幣供給の管理が実際には貸付を抑制するので、貨幣供給の管理による物価コントロールの試みは成功しない。マークアップ価格形成の場合、賃金水準が価格水準に大きく影響する。名目賃金の低下が実質賃金の低下につながらない。したがって、名目賃金が低下しても失業は低下しない。 

 

利子率

PKでは利子率の決定に関する資本市場の見解を拒否し、利子率が雇用量の重要な決定要因になるという見解をとる。

投資理論に最も決定的に必要なのは利子率の理論である。PKは利子率が短期的にも長期的にも外生的であるという考えをなす。

すなわち、総需要に影響を及ぼす金融および財政政策の非中立性である。

 

 

NKと新古典派ではミクロ経済学の限界生産物価格形成理論から利子率の決定を得ている。それによると実質賃金率を決定するのは労働の限界生産力である。

一方、労働供給曲線は労働者の労働の限界不効用と彼の可処分時間を奪うための賃金上昇である。かくして、実質賃金と雇用の均衡は供給と需要の曲線の相互作用により同時に決定される。同じように、限界生産力理論では実質利子率は資本ストックの限界生産力とともに変化する。貸付資金市場において実質利子率と新規投資の均衡の決定するのは資本と貯蓄の曲線である。この見解において利子率は雇用量と何の関係もない。

 

さて、話をPKに戻そう。

長期間と短期間の利子率を区別する必要がある。短期資産は非常に流動的である。

これは額面上の価値で容易に売買が可能なことを意味する。すぐに発行者が額面金額で買い戻せるからだ。長期資産は償還までの長い期間で投資家の間で様々な価格により自由に取引される可能性がある。長期利子率が下がれば以前に低い利子率で発行された長期債権の価値は下がるが、長期利子率が下がれば価値は上昇する。それゆえリスクが絡み冒険的だが長期利子率は短期よりも高くなる傾向で、短期利子率に影響を及ぼさない多くの市場要因にも支配される傾向がある。

実際に短期利子率を決定するのは中央銀行である。しかも貨幣市場であって資本市場ではない。

PKは資産市場の作用が新規投資そのものの期待利潤率と利子率の変動とを基本的に結びつける。それゆえ、短期利子率が変化するとそれは他の資産とは反対に貨幣の保有インセンティブに対して基本的な効果を及ぼし、その効果を通じて全ての資本資産の価格と投資率に対して基本的な効果を及ぼす。

 

企業家の観点から見てみよう。

資本を手に入れた時に三つの選択肢がある。

今すぐにある資本資産(住宅や土地、設備)を購入しその資産の現物価格を支払うこと(SP)

将来のある決まった日に上記の資本資産の引き渡しを受ける注文をし、それに対する先物費用を支払う契約をすること(FP)

何もしないで遊休資産によって現行利子率を会得すること。

それぞれの行動の収益性を表す計算は期待価格によって決定する。

現物価格先物価格は観察できるが期待価格は企業家の心の中だけに存在する主観である。期待価格が低ければ貨幣は使われないだろう。

 

ポストケインジアンの理論まとめ

  • ポストケインジアンは自らをケインジアンの伝統における最も直系の子孫であると主張して合理的期待とマネタリズムという新しい古典派の二本柱を攻撃する。市場均衡は議論の余地はあるとみなされている。PKは単一の統合された労働市場の存在を信じない。
  • 貨幣供給は内生的である。借り手が需要を増やすにつれて貸付が行われ貨幣供給は増える。この観点と多少なりとも一致する政策は貸付限度額に対する利子率を管理することである。
  • 価格理論はマークアップ価格形成に基づく慣性理論である。
  • PKは合理的期待が行動を予測するための擁護しうる基礎になるとは考えず、特に経済変数の値の客観的な中心傾向が期待そのものと無関係に存在するとは考えない。投資家の期待はある意味で自己達成的である。投資家が将来の事業に有利な状況を信じて投資するならば、良い需要状況が存在するだろう。期待のこの主観的性質は「アニマルスピリッツ」と呼ばれている。このような予測不可能性は、予測可能なリスクとは対照的に真の不確実性の根拠である。
  • 合理的期待は必ずしも合理的行動をもたらさない。これは「囚人のジレンマ」によって説明される。
  • 自然失業率の存在も受け入れない。むしろ、彼らは期待の状態が均衡雇用水準を決定すると考える。短期の総供給曲線は固定されており、民間企業に当てはまる。総需要曲線は投資家の期待の変化に応じて上下にシフトする。賃金の増加が需要を刺激する不況的な状況と利潤が増加する好況的な状況とが存在する。
  • 短期の大量失業の発生原因が通常の場合には不十分な有効需要にあると考える。有効需要のどの構成要素の変動も雇用を不安定にするのに十分であろう。けれども、総需要の中で最も著しく不安定な要素は投資である。
  • 長期の投資は本来的にリスクを伴うのでその利子率は短期の投資利子率よりも高い。短期の利子率を決定するのは中央銀行である。収益率と利子率の差に基づいて投資が決定される。
  • 収益は資本資産の生産費用と実際に売却可能な期待価格との差に依存する。もっと厳密に言えば収益を決定するのは自己利子率である。自己利子率は、その資産の期待収益、持ち越し費用および流動性プレミアムに依存する。投資は自己利子率が低下して貨幣の自己利子率と呼ばれる銀行の貸付利子率と一致するところまで行われる。
  • 先物価格は生産可能資産の場合に現物価格と連動し、貨幣タームで測定された全ての資産の利子率の均等化される。先物価格が費用価格を十分に超えると、生産可能資産が生産されるだろう。ある種の硬直性が必ず存在することにより、この二つの価格の差が維持される。費用の硬直性は欠点ではなく、成功する経済体制に不可欠な要素であると主張する。
  • 長期の投資プロジェクトは長期の債券市場で形成される。長期利子率は投機的リスクに必要な報酬と短期利子率の期待流列に依存する。将来の短期利子率は不確実であるから長期利子率は主に社会的慣習の問題であり、外生的とみなすことができる。長期利子率は変化が遅いので長期利子率の変化によって投資率を引き上げるのは困難である。
  • PKは資本財と消費財の生産を区別する。新しい技術は資本財の設計を通して生産過程に組み込まれる。生産過程の性質上、資本財は普通、注文財であり、消費財は一般に大量生産され非常に古い物的資本を利用することができる。
  • 資本財の資産は非常に動態的である。資本部門における革新者は一時的な技術レントと呼ばれる独占レントを獲得できる。資本部門は一般に弱い利潤であるが、独創性を必要とし賃金が高い。
  • 消費財産業では、最高の技術が工場の建設に用いられる。長期的に見ると、単位あたりの費用は固定費用が回収されるにつれて低減するが、同時にその工場は陳腐化に向かう。消費財の価格は最も非効率的な工場の費用を回収するのに必要な価格よりも高く設定される。より効率的な工場のすべてが効率性のレントの獲得する。しかしこれは不可逆的であるから古典派の供給曲線ではない。工場は陳腐化すると廃棄される。消滅しないように、企業は様々な設置時期の資本を持つ多くの工場を維持する。