共通入学試験について

宇沢弘文の傑作論文全ファイルから引用

センター試験の弊害

センター試験制度の最大の問題点は「共通」ということである。

何十万人の若者が全国一斉に同じ時刻に同じ問題に取り組んで鉛筆をうごかしているのは異様である。

コンピュータで計算された成績点数によって受験生が序列づけられ、その結果が偏差値としてあらわされ、それぞれの偏差値に見合った大学を志望する。およそ考えうる入学者選抜のなかでもっとも非人間的、非文化的なものがこの制度といっても言い過ぎではない。

大学にとってもっとも大切なことは、歴史的、伝統的な環境のもとでできるだけ自由で、個性的な研究、教育が生き生きとしておこなわれるような場を作り、それを維持することである。

大学はあくまで社会的存在であり教授会の内発的要請がこれらの社会的制約条件に往々として矛盾し、この間にきびしい対立関係が形成されるということは否定できない。

しかし、世界のすぐれた大学はそのような対立関係のなかにあっても、自律的、内発的な学問研究の姿勢を貫いてきた。

そして一つの国にそのような大学が数多存在し機能することによってその国が社会的正気を保ち、文化面でも魅力的なものとなる。

 

大学がその本来の機能を果たすには、大学の個性化、多様化が必要である。

それを生み出すには教授人事と学生選抜にかかわるものである。

どのような基準に基づいて、どのような手続きによって教授を任命し、学生を選抜するかということについて、各大学がそれぞれの学問的、歴史的、地域的特性を十分考慮して各教授団が最適な方法を自主的に決定することによって、学問的、人間的個性を維持することが大切である。

 

「一芸に秀でた」学生を選ぶという基準で試験を課そうというのは大きな弊害をもたらす。

 

10代後半の若者たちが持っている、資質、才能、アスピレーションはきわめて多様、異質である。

決して単一の基準によって、順序づけたり、判断することはできない。それぞれ持っているものをできるだけ生かし、アスピレーションを叶えられる生き方を一生続けて発展させることができるような環境を用意することが高等教育の重要な役割である。

 

共通試験とはこのような社会的要請を真っ向から否定するものである。全く恣意的な基準よって受験生を一律的に規格化し、序列化し大学までも序列化しようという、この制度は各受験生の人間的、社会的成長を著しく阻害し、鋭い感受性や多様な才能を秘めた若者たちに対して、はかり知らない損傷を与えている。

 

制度実施の当初は多くの私立大学はこの制度に参加するのを拒否していたが、文部省の圧力に耐えかねて組み込まれてしまった。

独自の伝統や歴史を持ち、独自の学問分野に優れた教授たちを持ち、個性と資質を兼ね備えて、十分活かせるような入学試験を志向してきた私立大学までもが、「共通」という枠組みに閉じ込められてしまった。

受験生は地獄の世界から逃れることができなくなってしまったといって良い。

 

 

文部省は、財務省通産省と違って天下りの組織が少ないため、大学入試センターのような組織をつくって天下りの機会を増やそうとする。