ジョーカー予備軍による『ジョーカー』感想

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今年一の話題作『ジョーカー』そのことについての感想を述べます。ネタバレありですのでまだ見てなくこれから見る予定の人はブラウザバック推奨です。

 

 

 

 

ジョーカーの背景

まず、ジョーカーについて話す前にアメリカの格差について語らねばなりません。

jp.quora.com

 

参考記事

www.bbc.com

アメリカといっても合衆国、ヒュドラのようにそれぞれの州(頭)が集まり群という一つである。一枚岩ではない。しかしその分格差社会もまた加速している。

上記の記事のように日本では年収1000万は上位10%で高所得者なわけだが、サンフランシスコでは低所得者扱いなのだ。

ジョーカーの時代設定は1980年代。その当時のアメリカは治安がとても悪くまさに映画の通りのような世界でした。しかしなぜ現代で今その設定がウケるのか、それは1980年と現代この二つの状況が似てきているからだろう。格差広がる状況の中で落ちていくものたちのフラストレーションが溜まり、その捌け口によって治安が悪くなったり。。。

だからグリーンニューディールのような政策が現れたり、ユニバーサルベーシックインカムやジョブギャランティプログラムのようなポリシーが注目されるのだろう。

またアメリカは自己責任論の強い(日本より)国。セーフティネットも充実されていないのでこの要素もジョーカーという映画の背景に深く関わる部分だろう。最近手取り14万で炎上したのがいるが

日本も例外ではない。無敵の人だとかで話題になっているしこれからも無敵の人は増えるだろうし、(無敵の人についてはどっかに記事を書いた気がするのだが見つからないのでまた簡略に話すと、あれもロスジェネ関連の話であり、就職氷河期で落ちていったものたちなのだ)日本も自己責任論が強くなっている。ジョーカー予備軍であふれた社会になりつつある。かくいう私もジョーカー予備軍なのだが。

 

 

ここまでがジョーカーという映画の背景の話であり、また本編について全く話していないのでそろそろ話そう。

 ダークナイトのジョーカーとの違い

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まず、これを話しておく必要がある。『ダークナイト』とはクリストファーノーラン監督のバットマン三部作の二つ目だ。よく一つ目だと勘違いされているのだが、一つ目は『バットマンビギンズ』、金曜ロードショーで『ダークナイト』ばかり放送したからだろう。

ダークナイト』のジョーカーはヒースレジャーの圧倒的演技力、また本人がダークナイト完成直後に死んでいるから神格化されもはや伝説のヴィランとなっている。これはハードルが高いだろう。現にこの『ダークナイト』のジョーカーと勘違いして見にいくと今作のジョーカーでは物足りなく感じてしまうからだ。

では、『ダークナイト』のジョーカーとは何が違うのか。

ダークナイト』のジョーカーは悪のカリスマとして描かれており、彼の行動は読めない。彼の行動が読めないのはなぜかって?それは彼の発言が嘘か本当かわからない、またジョーカーがどういう動機で犯罪を起こしているのかが終盤にならないとわからないという、またこの「わからない」という恐怖があるのも魅力的だ。戦略的、戦術的の両方を兼ね備えており必ず想像の斜め上を行く存在である。

しかし今作のジョーカーはその生い立ちやジョーカー自身の背景を描くために、人間らしさがなく得体のしれない恐怖を与えた『ダークナイト』ジョーカーとは違い、ジョーカーなのに人間らしさや良心を描いている。これでは悪のカリスマを期待して見に行くと裏切られた気持ちになるだろう。だが、一つ注意しておきたいのはこのジョーカーに同情させるためにこの人間らしさなどを描いているわけではないということだ。

ジョーカーの笑い

アーサーは病気で緊張すると笑ってしまう。笑いとは普通楽しい時にするものだが彼は違う。彼の笑いはいろんな複雑な感情が混ざり合い押し合い鬩ぎ合って『笑う』という形で外界に伝えているのだ。いや、そういう方法でしか伝えられないのだ。

怒り、悲しみ、呆れ、あまりにも不幸で悲惨すぎるからこそもう笑うしかない。

アーサーにとっては重く、深く、そして本人ですらもわからぬ感情なのだが、その彼の『笑い』を見た他者はただただ狂っているようにしか見えない。だからこそ誰も相手にしない。カウンセラーですら。

 

この人生よりも硬貨な死を

アーサーはコメディアンを目指していたが、自分のギャグセンスを他人に理解してもらえないし、他人のギャグセンスもわからない。なぜこれが面白いのだろうか、自分と他人との価値観?の差が大きく乖離している。そしてそのこともバカにされる始末。そして彼がついにコメディアンとしてTVに立った時に彼は笑いは主観で決めるものとバッサリ切り捨てるのだ。社会にその存在を認められなかったアーサーはマスクをつけジョーカーとして認められていく様、本当に人々が求めるものは何なのか。その答えを得たジョーカーはラストシーンにまで繋がっていく。

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この映画そのものがジョーカーである。

この映画は妄想オチである。妄想オチなのは、「あのままだと悪を肯定してしまうから」、「オチに困ったから」「ミスリードに持っていくため」など色々あるが、そもそもこの映画の構造そのものがジョーカー的であるということだ。

ジョーカー的というのは嘘か本当かわからないというジョーカーの行動を表している。

この映画には至るところに不確実性を秘めている。例えば、地下鉄での銃乱射シーン。

彼の持っているリボルバーの装填数と銃声が合っていないし、発射された弾数も合わない。冷蔵庫に入るシーンも冷蔵庫は内側から開かない仕組みだしあのまま死んでいたり?

(その後のシーンの繋ぎ方も不自然)

はたまた銃をこめかみに当てて発砲の真似をしたときに本当は弾が入ってたりして。。。

ジョーカーの自殺を思わせたシーンは他にもいくつかある。これらのシーンはアーサーの心の入れ替わりを表しているのか。。。

このように妄想と現実の境界が溶け合い見えなくなってくる。どこまで真実なのか、嘘なのか、これがいかにもジョーカーらしいのである。

 

 

 

 

終わりに

今年の洋画間違いなくぶっちぎりの一位である。

 

アベンジャーズ???陽キャが騒いでただけだろ。

インキャはジョーカー好きそう(偏見)

 

やっぱ俺たちにはジョーカーが必要だ!!!!!