〜金について勉強する〜 その1 貨幣負債論(信用貨幣論)

このゴミ箱ブログで企画します。

それは金について勉強するという企画です。

皆さんは日々学校へ行き勉強したり、パチンコしたりしていると思われますが、何のためにそんなことをしているのか疑問に思ったことはないのでしょうか?

 

それは金を稼ぐ為です!

 

生きているのなら金が必要です。

しかし、どうやって金を稼ぐか、世の中では二つの方法で金を稼げます。

受験戦争で他人を蹴落として大学へ行き勉強()をし卒業して企業に媚びてスーツを着てサークルの副代表アピールするという就職奴隷くんルート(この言い回しは自分のフォローしている人のツイートを参考にしています。別に侮辱しているわけではありません)

もう一つはパチンコで倍にすれば良いという方法です。

 

もちろん、世の中金稼ぐ方法など山ほどあり、こんな二つの例はゴミみたいな例ですが、俺がいちいち金を稼ぐ裏技などタダで教えるはずがないだろ。ワザップで探してろゴミ。

 

しかし、そもそもお金とは何なのかの理解もなしに金を稼ぐ行為に走るなど、努力値個体値も知らずにポケモンをやってるようなものです。そんなものが許されるのは小学生までです。

 

この貨幣理解を深めれば老後資産問題から暗号通貨、国の借金がどうなどの問題本質に近づき、金のあり方が変わりつつある中でこの貨幣について学ぶことは古文を学ぶよりもよっぽど役に立つと思います。

それとブログを書くという知識のアウトプットとアップデートを兼ねた私自身への訓戒でもありますわけで自身もより理解しようという魂胆です。

 

前置きはさておき本題に入ります。ここから先はクソ真面目な話なので頭痛が痛い人はブラウザバック推奨。

 

 

 

 

商品貨幣論と信用貨幣論

 

貨幣は有価物(金などの貴金属など)によって価値が裏付けられるとみなす商品貨幣論と貨幣は負債の一種であるとみなす信用貨幣論の二つがあります。

多くの方は商品貨幣論の認識であると思われます。しかしそれは誤認です。

未だに金本位制だと勘違いしている人間です。

現代では信用貨幣論の方が正しいのです。

詳しく見ていきたいと思います。

 

まず、原価20円ほどの諭吉が書かれた紙切れにどうやって10000円の価値を持たせているのでしょうか。

金と交換できるから?

しかし、現代の貨幣は貴金属などの有価物との交換を保証されていない「不換通貨」であります。

では、一体どうなってるのか。

紙幣を発行するプロセスを見てみましょう。

 

国立印刷局から10000円札は刷られ(この時点ではまだ原価20円の紙切れでしかない)、そこから日本銀行に引き渡されます。そこで日銀当座預金に差しかえられます。

日本銀行にとって日銀当座預金とは借用証書であり負債です。それを紙幣つまり日本銀行券に帰るわけですから発行した紙幣も負債な訳です。バランスシートで見てみましょう。

バランスシートとは借方(右)に資産を計上し貸方に負債、純資産を計上する会社などの売り上げや赤字などの経営判断するものです。

日本銀行では紙幣(日本銀行券)は貸方に計上されます。

わかりやすく買い物で例えてみましょうか。

あなたが10000円を手にし10000円のエロ本を買うとします。レジに持っていく時点であなたは店側に10000円の債務が発生した事になります。払わなくてはいけないという事です。弁済をしなくてはいけない。その弁済の手段として日本銀行の借用証書であり私たちの債券である日本銀行券で弁済するという事です。

 

もっとわかりやすくイングランド銀行が説明した例を述べましょうか。

 

クルーソーとフライデーしかいない孤島」という事例を説明します。

その孤島でクルーソーが春に野苺を収穫してフライデーに渡す。その代わりにフライデーは秋に取った魚をクルーソーに渡すことを約束する。

この場合、春の時点では、クルーソーにはフライデーに対する「信用」が生じます。反対にフライデーにはクルーソーに対する「負債」が生じます。そして秋になってフライデーがクルーソーに魚を渡した時点で、フライデーの「負債」は消滅します。

さて、一旦春の時点つまり債務を負った時に巻き戻ってみましょう。

この時、フライデーがクルーソーに対して「秋に魚を渡す」という借用証書を渡したとしましょう。

ここで第三者のサンデーという人物がやってきたとします。

サンデーは火打石を持っているとする。そしてクルーソーがフライデーに対する「借用証書」をサンデーに渡して、その火打石を手に入れたとしましょう。

さらに、マンデーという4人目の人物もやってくる。マンデーは干し肉を持っています。そしてサンデーがマンデーに「借用証書」を渡して干し肉を手に入れます。その結果、フライデーの「秋に魚を渡す」という債務をマンデーに対して負ったという事になります。

この例の場合、フライデーの債務はクルーソー以外の3人にも譲渡可能なものとなっています。

つまり、この孤島では、フライデーの債務に存在を示す「借用証書」が貨幣となっているのです。また、ここで重要なのが魚とイチゴの取引に時差がある事。同時に交換する物々交換では、債務や信用といったものが発生しないのです。

また、借用証書が貨幣として流通するためには条件があります。

フライデーが秋に魚を渡すという約束を必ず守るという信用がなければなりません。

また、この借用証書を受け取るには、野苺、火打石、干し肉が同じ価値でなけれ万里ません。

 

話を現実にもどしましょう。孤島とは違って我々の世界では取引は無限にあります。

信用と負債の関係も無限にあるわけで、この信用と負債の関係を孤島のように解決つまり弁済や決算を行うにはその負債の大きさを他の取引と比べて測る指標が必要なわけです。

負債の大きさを計算する共通の表示単位、そうそれが円やドルなどの貨幣なのです。

 

これが信用紙幣論というわけです。